リレーエッセイ Vol.8



青春とは(学生生活を振り返って)

昭和56年(1981年)卒 中莖雅彦(なかくき まさひこ)




 経和会では平成28年から企画委員長(事業計画、経和会サロン担当)として4年間、令和2年から財務委員長(会計担当)として副会長を拝命しております。基本的にパソコンとかIT分野が苦手ですが、何でも挑戦と昨年パソコンをWindowsからMacに買い替えApple社の親切なサポートに感動・感謝しつつ悪戦苦闘しております。

<のんびりしていた学生時代>
 卒論ゼミは近代経済学(マクロ経済学)の田中一盛先生が主催する演習に参加していました。田中先生は経済論文が難しいと感じるのは和訳で読むからだと言われ、原書で論文を読むことを学生に勧めていました。ゼミ参加の事前課題も英語で書かれた書物の読後感想文でしたが、私は和訳本を読んで「難しい」「解らない」という言葉を連発して文字数を稼ぎ、「理解できる様しっかり勉強します。」と適当にまとめて提出した記憶があります。ゼミの発表会では英語が苦手な私の頓珍漢な解釈を丁寧にご指導してくれたことを昨日のことの様に思い出します。冷や汗ものであったことを深く反省しつつ、今でも田中先生の温かいご指導に大変感謝をしています。
 また、高校までは運動とは無縁でしたが、同じ高校から理学部に入学した友人に誘われ硬式テニスのサークル「硬式テニスを楽しむ会(硬楽会)」に4年間所属しました。学内のコートで下手は下手なりに硬式テニスを楽しんだことも良き思い出です。(中々上達しない私を根気よく指導してくれた皆さんありがとうございました。)
 アルバイトは家庭教師、塾講師、ガソリンスタンド、百貨店のお中元など色々経験しました。ガソリンスタンドで洗車係をしていた時、お客様からお預かりした自動車を交通標識にぶつけて凹ませてしまいスタンドの主任が一緒に謝ってくれたことは、今となっては苦い思い出のひとつです。全般的に今と比べて時間の経過がとてもゆっくりで、のんびりした学生生活を過ごしました。

<就職活動>
 就職に当たっては、これと言ったポリシーもなく金融業界、食品業界、電機メーカー等々、経済学部の先輩を訪ねては、厚かましくご馳走になりながら色々な話を聞かせて頂き企業研究らしきものをしました。最終的に住友海上火災保険㈱(現三井住友海上火災保険㈱)に入社しましたが、当時は埼大生であれば有名私立大学よりも学内の競争も少なく、比較的楽な就職活動ができたことも事実です。それでも就職に当たって最後の決め手となったのは、先輩を通した会社の雰囲気や活力・期待感でした。今でも同社内には「常磐会」という埼玉大学卒業生の同窓会があり、今年はコロナ禍の影響で中止にはなりましたが、毎年2月に懇親会を開催し交流を図っています。世間で言うところの学閥ではありませんが、同じキャンパスに通った先輩が海外を含め全国にいることが、後輩社員にとって非常に心強く感じられたことは確かです。

<失敗続きの会社生活>
 同社では主に営業畑を歩んで来ましたが、様々な業界の方々との交流は刺激的な経験でした。特に印象に残る出会いは、20代の時に得意先が主催するパーティーでブッシュ前アメリカ合衆国大統領の弟と名刺交換ができたことでしょうか。(但し、世の中がバブル経済で浮かれている時でしたので、同氏の真贋は定かではありませんが・・・。)
そもそも私は後先を考えずに行動するタイプで、しかも直ぐに忘れるので反省もしない。同じ様な失敗を重ねていた感じです。
〇担当者時代の失敗事例
・企画書を書けば誤字・脱字だらけ。同行した上司に恥をかかせたことは数知れず。
・事前手配が必須の特殊保険の再保険を手配せず引受け大目玉。(当時はクビ?を覚悟。)
・現金が入った封筒を誤廃棄。(職場内全員での捜索に平謝り。)
・法律で禁止されている条件での保険引受。(無知ほど怖いものは無い)
・約束の商談日時を間違え得意先から出入り禁止。(その他理由での出入り禁止も数々。)
・電車の網棚に重要書類を置き忘れ。(無事出て来ましたが本当にビビリました。)
・二日酔いで得意先との商談をすっぽかし。(今と違い携帯電話等無かった・・・。)
・接待中に居眠り。背広を間違えて帰宅。 などなど

管理職時代を含め書き出せば切りがありませんが、今となっては懐かしい思い出です。
そんな私の失敗を許容してくれた上司、得意先に感謝です。

<還暦を過ぎて>
 今年は、大学を卒業して40年になります。数字だけ見れば、ずいぶん昔のことのようですが、還暦を過ぎた学友に合えば、学生時代の思い出話に花が咲きます。ただ、残念なことは勉強や授業の思い出よりも、第2生協のカレーは第1生協のカレーより具が多くて美味しかったとか、“むつめ祭”にクラスの有志でおでん屋を出店し、近所の酒屋で仕入れたお酒を販売する量よりも自分達の方が多く飲んでしまった等々、本当に学問とは掛け離れた出来事ばかりです。それでも学生生活が楽しかったと言えるのは、当時も今も平和で幸せということでしょうか。先生をはじめ大学職員の皆様、友人、地域の皆様に感謝しなければと思います。最近は老眼が進み新聞の字も読みづらく、年齢を感じることが多々ありますが、気持ちだけでも「青春」を謳歌したいと新しいことに色々挑戦しています。私の尊敬する松下幸之助氏は、「青春」について次のように言っています。

青春とは心の若さである
信念と希望にあふれ勇気にみちて
日々に新たな活動をつづけるかぎり
青春は永遠にその人のものである


40歳:楽譜が全く読めないのにフルートに挑戦し、若い人に交じって発表会に何度も出演。
50歳:登山を始め八ヶ岳や日本アルプスの山々をトレッキング、フル装備の雪山にも挑戦。
60歳:転勤で中断していた三河湾100キロウォーク大会(注)参加を再開。
家族からは「物好き!」と笑われていますが、今では新しい仲間との出会いも増え多忙な毎日を過ごしております。
(注)愛知県の醤油メーカーが毎年主催する2000人規模のチャリティイベント。10月中旬の土日の2日間で100キロを一気に歩くちょっと過酷なレース。(昨年は残念ながらコロナ禍の影響で大会が中止。)

 最後に、今後とも微力ではございますが、関係者の皆さんにといって少しでもお役に立てるよう経和会活動のお手伝いをさせて頂ければと思っています。皆様の益々のご活躍、ご多幸を祈念しつつ私のリレーエッセイを終わります。ありがとうございました。


<2020年 経和会サロン>


<1977年 学生証(当時から老けていました)>


<2001年 フルート発表会のプログラム(ヨレヨレでした)>


<2014年 初めてピッケルを持って硫黄岳登頂(2,760m)>


<2017年 還暦を記念して赤Tシャツで 北岳登頂(3,193m)>


<2019年 100キロウォーク完歩(28時間)>


リレーエッセイ一覧