リレーエッセイ Vol.11



人との出会いや交流を大切に!

昭和51年(1976年)卒 倉上 伸夫




<はじめに>
 経和会副会長で、就職支援担当の倉上です。元埼玉県職員です。
 この2年半の間、コロナ禍のため現役大学生にとっては、授業はオンライン、構内には立ち入り禁止、卒業式や入学式も中止など、孤立化問題が深刻さを増していました。経和会も対面や集団での活動はできませんでした。しかしながら、経和会執行部会議は、WEBを活用するなど、実施方法を工夫し、コミュニケーションをとりながら活動しています。また、ホームページ等での情報発信を通じて、同窓との連携を深めるとともに、現役学生の支援に力を入れています。若い人たちには、自分の夢や希望を実現していただきたい、みんなで支援したいと頑張っています。
 私がこのリレーエッセイで学生の皆さんにお伝えしたいことは、「人との出会いや交流を大切にして豊かな人生を実現して欲しい」ということです。
 では、これまでに私が体験した出来事に触れながら自己紹介させていただきます。

<ふるさと>
 生まれは、埼玉県北部の深谷市です。近くには、郷土の偉人渋沢栄一により明治20年に設立された日本煉瓦の工場があり、小さいころは、近くをレンガ輸送のヂーゼル機関車が走っていました。今では廃線となり、市民の遊歩道になっています。この日本煉瓦工場で作られた「煉瓦」は、東京駅や赤坂離宮、日本銀行など、明治を代表する日本建築に使われています。この地域では、良質な原料粘土が豊富にあったことから、ドイツ人ビョックマンの指導の下工場が建設され、工場内に残る「ホフマン輪窯」などが国指定の重要文化財になっています。渋沢はふるさとをとても愛していたので、親しみを感じます。

<学生時代>
 大学時代の友人には、北海道札幌や苫小牧や秋田県能代、長野県安曇野、香川県丸亀、千葉県勝浦など県外出身の人が多く、わが家まで遊びに来てくれた人もいます。
 ゼミは、松島ゼミに所属し、「日本資本主義発達史講座」等を学びました。松島春海先生は、穏やかで、物静かな先生でした。就職について、アドバイスをいただいた記憶があります。また、私の結婚式にもおいでいただき、祝辞をいただくなどお世話になりました。
 アルバイトは、家庭教師と塾の講師が中心でした。家庭教師は洋服屋さんのお嬢さんを高校受験まで教えました。また塾の講師は、南浦和にあった栄光ゼミナール(埼大OBの北山雅史さんたちが設立)で、数年間続けました。夏には、現在「ガリガリ君」で有名になった赤城乳業のアイスクリーム工場で働いたこともあります。
 学生時代は、比較的キャンパス外での活動が多かったように思います。

<埼玉大学と埼玉県庁>
 地方公務員の仕事は、やりがいがあります。特に、県行政は、守備範囲が広いため、いろいろな立ち位置で、自分を試してみることができます。県民から求められる行政需要は多様であり時代や環境の変化、社会情勢の変化等により、どんどん変わっていきます。
 埼玉県は、日本の縮図であるとよく言われます。行政が取り組むべき様々な分野の政策課題に満ち溢れているからです。
 30数年の公務員生活の中で、市町村や関連団体、民間企業などへ派遣され、行政以外の業務を経験する機会もたくさんあります。そのことは、政治、経済、教育、文化、スポーツ等いろいろな分野の多くの方々と出会い、仕事をする機会にもなります。
 最近は女性職員の比率が高まっていますが、明るく元気で、失敗を恐れない積極的な若者たちのチャレンジ(受験)を待っています。
 埼玉大学出身の県職員は、経済学部のほか、教養学部、理工学部、教育学部の各学部出身者がいますが、現在はそれほど多くはありません。埼玉県庁には、出身大学による派閥はありません。県庁職員は九州から北海道まで、全国から集まっています。

<組織づくりは人づくり>
 就職してから退職までの間、長い公務員生活が続きます。個人のライフデザインと組織の人材育成・活用ビジョンがうまく合致しないと、大きなロスが生まれます。しっかりした研修体系(人財育成)と人事配置・異動の方針をもって対応していますが、職員を消耗品にしては大変です。職員は財産であり、能力の向上により、行政サービスの質は高まります。

<職員ハンドブック>
 埼玉県では、かつて新規採用職員一人一人の資質と能力の向上図るため、「職員ハンドブック」を作成していました。660ページほどの冊子で、「県政の現状と課題」「地方行財政制度(地方自治・県行政・県財政・地方公務員)」「事務の手引き(文書・財務)」「仕事と組織(事務管理・組織管理・情報処理)」等の内容・項目で構成されており、県政推進の担い手である職員一人一人が基本的に身につけておかなければならない実務の手引きです。
 現在は、ICT化が進み、ペーパーレス化の進捗とともに冊子の作成はありませんが、PCやiPadの活用で情報の収集・共有や意思決定は格段にスピードアップしています。また、上司と部下の関係もボトムアップ型の稟議では対応できないほど、意思決定の即時性が求められており、勤務時間の概念も変わりつつあります。メリットだけでなく、ディメリットもありますが、変革の進展は、一層加速されています。そして職員の能力育成方法も変化しています。

<20代・30代>
 20代で担当する業務は、税務、財務、許認可等の法律、規則、公文書の作成など基礎的知識と技能を身につける分野の仕事です。研修も体系立てて受けるものが多く、経験に応じた階層別の研修と選択制の専門研修、外部研修等OJTとOFFJTを取り混ぜて人材育成を実施します。また、人事異動も、キャリアディベロップメントの観点から、人事異動方針を定め、本庁と出先機関を一定の在籍年数ごとに異動します。これにより、住民の意見や要望等を直接把握する現場業務の経験を積みます。
 さらに、埼玉県では、組織内部での昇任試験制度(係長・主査試験、課長・所長選考)を行っています。もともとは昇任等に際しての不透明性やコネクションを排除するために実施されるようになったものです。家庭や育児等の負担が大きい女性の受験者が少ないことや論文試験や面接試験など負担が大きいことなどから、わざわざ試験をしなくても、能力や実績の評価はできるだろうということで、何度か廃止が求められましたが、時代や環境の変化に合わせて、制度を見直しながら、現在も運用されています。
 30代になると、役付きにもなり、部下もでき、仕事・対外交渉等に自信がわき、なんでもできるような気がしてくる時期です。自主性も高まり、課題解決のための企画提案力が高まる時期です。

<自発的研究グループ>
 埼玉県では、若い職員の自発的な能力育成を促すため、大学のゼミのような、「自発的研究グループ」の育成と支援の制度がありました。行政に関係するテーマであれば、技術系、事務系にかかわらず、テーマの選定も、メンバー構成も自由です。行政課題や、担当業務に関係するテーマが多かったように思います。年度初めに届け出し、年度末には活動内容の報告を提出します。もちろん、1年で終了せず、活動を継続させても大丈夫です。1グループに、1年間5万円程の支援金が出ました。若い世代を中心に、30~40くらいのグループがあり、若手の意識改革ややる気を刺激し、意識の活性化につながっていました。私も7~8人の仲間と研究会を作り、テーマを変えて数年間か活動しました。

<失敗は人を成長させる>
 誰もが好んで、失敗を望むわけではありません。しかし、失敗は、自分を見つめなおすきっかけとなり、成長(変身)のチャンスを与えてくれます。
 私は、20代後半のころ、退職金計算事務を担当したことがあります。大勢の定年退職者、勧奨退職者、早期退職者等の退職金の計算や支給等の事務作業です。まず、退職金の支給額を計算し、決定するわけですが、お金のことですから、何度も計算し、チェックするわけで、間違うはずはありません。しかし、そういう時こそ失敗(ミス)が生じるもので、結果として、周囲の人々や関係者に多大な迷惑をかけることになることがあります。
 一般的に、退職者は、退職時にその職場から退職金を受け取ります。しかしながら、公務員の場合、国や類似の団体から引き続いて職員採用された場合、前職で退職金をもらわず、埼玉県を退職するときに通算して退職金を受給することができる制度がありました。勿論、前職で支給を受けることができますので、本人の意思(決定)次第です。昔は、履歴の管理を紙の履歴書で管理していました。その履歴書には、転入者の場合、前職で退職金を受領していれば、その旨を採用時に記載していましたが、記載されてない場合もあるため、退職金が払われているかどうか、前職団体に確認をしていました。しかしながら、時間がなかったのか、対象者が多かったのか、仕事に慣れて、チェックの甘さが出てしまい、確認せず、通算した退職金額を本人に提示してしまいました。勿論、本人は前職で退職金を受領したことは知っているはずですが、20年も前のことですから、受け取った金額も少なく、新たにこれだけ支給されるのだと思ったのかもしれません。履歴の年数をみてもわかるはずですが、ご本人は納得しません。退職を控え、いろいろな思いもあったのかもしれませんが、本人の了解が得られず困り果て、上司に何度か足を運んでいただき、ようやく納得していただきました。相手の方は、職位も高く、配慮すべき立場の方だったこともあり、しっかりとチェックし注意すれば、起きなくてもよいミスでした。ほんのわずかな不注意の為に多くの方々に迷惑をかけ、不快な思いをさせ、業務多忙な時期に大きなロスを生じさせてしまい、赤面の至りでした。ヒヤリハットと言いますが、その経験は、その後仕事を進めるうえで、チェックや確認の大切さを自覚するきっかけになりました。

<思い出の事業>
 仕事を通じて、いろいろな方と出会い、多くのことを学ばせていただきましたが、なかでも思い出に残る事業の一つは、「さいたま新都心」の整備事業です。これは、埼玉百年の大計と位置づけ、旧大宮操車場跡地とその周辺地域の再開発事業で、浦和市、大宮市、与野市の3市合併に伴う「さいたま市」の誕生に合わせた中心的事業です。この事業では、ハード、ソフトの両面にわたりいろいろな取り組みがありました。
 なかでも、私が携わった「さいたまスーパーアリーナ」の建設・運営はその中核施設として、交流とにぎわいの拠点づくりでした。また、2000年のさいたま新都心街びらき事業の企画等に携わり、オープニングセレモニーや街びらきイベント等に取り組みました。
 建設段階では、騒音や振動、排気塔設置などの問題について、周辺住民の方々と随分話し合いました。
 さらに、建設後、「(株)さいたまアリーナ」(第三セクター)に出向しました。開設間もない時期で、アーティストやプロモーター等に施設を理解してもらい、イベントの誘致をするため、総務部長でしたが、組織のマネジメントのみならず、テナントのリーシング、音楽コンサートや格闘技等のイベント誘致などを幅広く経験し、音楽プロモーターやスポーツ団体、文化団体等各種団体への営業活動を行い、通常、公務員では経験できない業務に携わらせてもらい、いろいろな人に出会い、興行の世界や大規模施設の運営等を学びました。また、事業の進め方では、民間企業出向者と喧々諤々と議論しました。
 さらに、「2002年FIBAバスケットボール男子世界選手権大会」の誘致に取り組みました。FIBA委員にアリーナの施設などを視察していただき、ドイツ・ミュンヘンでのFIBA会議や米国・コロラドスプリングスのジョージ・キリアン国際バスケットボール連盟会長訪問などを行い、埼玉県で世界選手権大会を開催することの優位性等についてPRしました。結果は、「男子世界選手権大会」の誘致は、かないませんでしたが、シドニー五輪出場の米国・ドリームチームとスペインチームとの前哨戦を実現することができました。
 また、貴重な経験といえば、秋篠宮殿下・同妃殿下を、2度ほどアリーナ内で、イベント会場までご案内する機会がありました。お二人とも周囲の人々に細かい気遣いをされる方です。また、殿下とはあまり会話しないようにと言われていましたが、とても話しやすい方で、アリーナの可動施設(ムービングブロック)について説明しました。また、数年後、「全国生涯学習フェスティバル」の開会式の時にも、ご案内させていただきました。その際、アリーナの施設についてご説明申し上げたところ、覚えていてくださいました。誰にも、お話ししませんでしたが、非常に感激しました。

<退職後の人生>
 退職後の人生もさまざまです。仕事を続ける人、趣味に生きる人、資格取得や勉強をする人、ポランティアに励む人などなど。
 県職員を早期退職し、転職して弁護士になっている人が、一緒に仕事した人だけでも4人います。先日、そのうちの一人に会いましたが、コロナ禍にあっても元気で、社会貢献事業にも積極的に取り組んでいました。そのほか、税理士や中小企業診断士、宅地建物取引士等の資格を取得し、退職後、それらの資格を生かして、第二の仕事に就いている人もいます。また、市町村長や県議・市議等になっている人は何人もいます。
 さらに、多彩な趣味を持っている人もたくさんいます。陶芸、書、絵画、篆刻、能面打ち、俳句等々多彩です。絵画では日展に入賞する人や陶芸・能面づくりでは、超一流の師につき、個展なども開き、アマテュアのレベルを超えている人もいます。第二の人生のほうが豊な人生かもしれません。それぞれの人生を豊かにするのも、貧しくするのも、その人の価値観や身の置きどころによって、大きく変わってくるものだと実感します。

<埼玉県医師会>
 私は、埼玉県を退職したのち、県庁の敷地の隣にある「埼玉県医師会」にお世話になりました。ここでは、埼玉県内の郡市医師会を始め日本医師会、全国の都道府県医師会の方々、特に、東日本地域、関東甲信越ブロックの方々と、一緒に仕事をさせていただきました。病床の転換や医師の偏在問題、控除対象外消費税等いろいろな課題がありました。特に、新型コロナウイルス感染症の感染拡大前の時期は、超高齢化に対応した医療提供体制の再構築、「2025年問題」への対応が喫緊の課題でした。多くの先生方との交流の中で、いろいろなことを学び刺激を受けました。頭脳明晰で、研究熱心な方々が多いのは勿論のこと、専門分野以外でも多彩な能力を持っている先生が大勢いました。公的な立場を超えて、個人としての見識、意見を語ってくれる先生も多く、感謝しています。
 また、関東甲信越ブロックの事務局長連絡網を作り、交流会も実施し、利害を超えて連携強化を図りました。この交流会は、その後も、事務局長OB会として親睦を図っていましたが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響により頓挫しています。再開できる日を楽しみにしています。

<ボランティア活動>
 退職後は、いろいろな方から地域活動等へのお誘いを受けます。現在、地元の自治会長や社会福祉協議会の副会長などを仰せつかり、地域活動に参加しています。530世帯、会員1300人弱の自治会ですが、親睦行事のほか、ゴミ処理、防犯活動、防災活動等に重点を置き、安心安全で住みよい地域づくりを進めています。大手企業の退職者や元警察官のほか、歯科医師、会社経営者、自営業の方など多彩です。新しい世界が開けます。
 高校の諸先輩や仲間と行っている「熊高の森づくり」(会長は、元人事院総裁・厚生労働省事務次官の江利川毅先輩)にも参加しており、13年が経ちます。長瀞町の宝登山の一角で植樹や下草がりなどを、毎年に行っています。竹下景子さんに植樹していただいた滝桜も育っています。成長する木々を見るのも楽しみですが、先輩方の中には、作業後の交流会で、仲間と会うのを楽しみにしている方々が沢山います。温故知新です。

<おすすめの本>
 中村天風の著書:「成功の実現」「心に成功の炎を燃やせ」「運命を拓く」などは、おすすめです。落ち込んだ時、自信を失って出口が見えないとき、天風の著書・口述書を読んでください。元気になります。消極的立場に身を置いて生きるか、積極的立場に身を置いて生きるか。「人生は心ひとつの置きどころ」であることを知ります。ご本人の講演録(音源)を聞くと、さらに勇気づけられます。

<旅行>
 旅行は大好きです。国内中心ですが、全都道府県を巡っています。名所旧跡、神社仏閣はもちろんですが、時間があるときは、旅行地の郷土史館・歴史資料館や博物館などに行きます。いろいろなことが分かり楽しいです。また、企業ミュージアム等もお勧めです。「大阪企業家ミュージアム」は、大阪を舞台に活躍した企業家たちをまとめて紹介しており、機会があればぜひ行っていただきたいと思います。大阪には、ほかにも多くの企業博物館があり、お勧めします。

<家庭菜園>
 ここ暫らくお休みしていますが、家庭菜園に凝っていた時期があります。身体も動かし健康にも良く、作物もでき、出来映えが良いと励みになります。しかし、実際には、やってみると自然相手ですから、毎回出来具合が違います。一度上手くできたからと言っても、次回の出来具合は保証されません。種子、肥料、雨(水)、光(太陽)、土壌(連作障害)、害虫など、いろいろな要素が絡み合っています。良い作物を作るためには、勉強と工夫が必要です。やればやるほど、奥が深く、一度始めると何年にもわたって没頭できます。兎に角面白い。「作物が収穫できる喜び」、「何度やっても失敗する可能性を秘めた不安」など、土や作物との無言の対話が続きます。一方、太陽の下で、自分の自由な時間を満喫できる至福の時でもあります。新型コロナウイルス感染症が収束し、社会状況が落着いたら、また始めたいと思っています。

<健康法>
 まずは、健康第一。
 運動と食事に気を付けるようになりました。それまでは、暴飲暴食の連続でした。仕事上の関係もあり、会議と宴席が続きました。体重は増え、体脂肪、コレステロール値等が高まるという生活でした。生活パターンも改め、食生活も改善しました。おかげで、検診の数値はほとんど基準値内になりました。
 ラジオ体操は、毎日行っています。1日の始めに体のリズム作りに役立っています。
 食事にも注意し、朝はヨーグルトに果物、また毎日、野菜を食べるようにしています。
 休日など時間のある時には、瞑想に耽る時間を取ります。妻には、自己流だと笑われますが、呼吸法にも興味があり、いろいろ試しています。目をつむり、静かに深く呼吸をし続けると、心が整い落着きます。

<結びに>
 先行き不透明な時代をどう前向きに歩み続けるのか。コロナ禍で、自粛生活が続き、ストレスを感じ、孤立しがちです。一人になると、将来への不安が益々高まってしまう状況でもあります。しかし、人は一人では生きて行けません。いろいろな人との関わりのなかで学びながら、成長していくのです。振り返れば、私の人生も、多くの人たちとの出会いや交流の中で築かれてきました。
 前途ある若い人たちには、人との出会いや交流の機会を大切にし、自分の夢や希望の実現に向かってチャレンジしてもらいたいと思います。

 埼大生の皆さんが、今後いろいろな分野で大いに活躍されることを期待するとともに埼玉県職員となって、地元埼玉県のために力を発揮していただきたいと思います。
 そして、現役生に加え、卒業生の皆様にも経和会への加入をお願いいたします。



関東甲信越ブロック都道府県医師会事務局長会議
日本医師会会議後の懇親会にて

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